答志島架橋に関する一般質問

三重県議会

「平成21年10月」第2回定例会 10月20日 中村勝県議会議員


中村勝県議会議員
 新政みえ鳥羽市選出の中村勝でございます。ただいま上程されております請願第52号離島架橋の早期実現について、賛成の立場で討論に参加をします。
 今日は、答志島から島を代表して傍聴にも来ていただいております。ありがとうございます。
 私は、県民の皆さん方、議員の皆さん方、知事を初めとした執行部の皆さん方に、この機会を通じて離島に住む住民の思いをなお一層御理解いただきたい。そして、離島架橋について格段の御高配を賜り、一日も早く本土と離島を結ぶ架橋が実現できますよう心から切望するものであります。
 我が国は大小合わせて6852の島嶼により構成され、本土と呼ばれるのが、北海道、本州、四国、九州、沖縄本島の5島で、それ以外の6847が離島であります。このうち有人離島が422、残りの6425が無人島であります。
 三重県におきましては、鳥羽市に四つ、志摩市に二つの有人離島があり、志摩諸島と呼ばれています。これらの離島はともに本土に接近し、鳥羽市の答志島、菅島、坂手島は鳥羽本土から海峡部がいずれも800メートル程度で、本土への通勤、通学が可能であります。神島は愛知県渥美半島に近く、伊良湖岬まで4キロメートル、鳥羽まで12キロメートルの距離にあります。志摩市の離島は、リアス式の内湾である的矢湾と英虞湾に浮かぶ渡鹿野島と間崎島であり、両島とも本土までの距離はわずか200メートル足らずであります。
 離島で生活をしておりますと、楽しいことはたくさんありますが、困ったことはただ一つ、周囲を海に囲まれているため交通の便が悪いということに尽きます。特に御理解いただきたいのは、急病になったときの命の格差であります。一刻を争う急病の場合は、本土のように救急車が家まで来てくれません。島では急病になると、戸板に乗せられて桟橋まで運ばれ、船に乗せられて海を渡り、本土の桟橋に上げられて、そこで初めて救急車に収容され、病院まで運ばれるというのが現実であります。夜間は定期船もありませんので、小さな漁船に乗せられて、波しぶきをかぶりながら暗い海を渡らなければなりません。今月8日のような台風時は船もヘリコプターも使えませんので全くの孤立無援であります。この本土との連絡関係が海により隔たれている隔絶性、離島性が、島に生活する者の根源的な不安であります。
 今年起こった事例を申し上げます。
 8月17日、鳥羽市の神島でキャンプに来ていた愛知県の19歳の大学生が泳いでいるうちにおぼれて心肺停止となり、神島診療所の医師の診断により直ちに県の防災ヘリを要請し、ヘリは宮川河川敷に着陸、伊勢市消防本部の救急車で日赤に運ばれましたが、懸命な救助、治療のかいもなく亡くなられました。
 もう一例は、10月2日、答志島在住の57歳の男性が、鳥羽本土の本人が経営する店でクモ膜下出血で倒れ、鳥羽市消防本部に救急要請。救急車は10分後に到着。伊勢総合病院に搬送され、緊急手術の結果、一命を取りとめました。伊勢総合病院の担当医師は、答志島で発症しておれば命はなかったであろうと証言しています。その後、快方に向かっており、医師も家族も再起できるものと期待しておりましたが、先般、様態が急変し亡くなってしまいました。痛恨のきわみであります。
 この二つの例のようなことが、島に生活しておれば、24時間365日、現実のものとして突きつけられております。神島の例のように、旅行者や観光客がその立場になることもあるわけであります。私は、このことを党派を超えて強く訴えさせていただきたいのであります。
 皆さん方の中には、そんなへんぴな離島に住んでいないで本土へ引っ越せばよいではないかという御意見もあろうかと思います。
 しかし、思い起こしてください。あの2000年の三宅島噴火で三宅島の全島民は4年半に及ぶ避難生活、2004年の新潟中越地震では旧山古志村の住民が2年半に及ぶ避難生活を強いられ、やっとの思いで悲願のふるさとへ帰っています。たとえ火山性有毒ガスが充満しようとも、地震で家や田畑が失われようとも、だれが何と言おうと生まれ育ったふるさとは何物にもかえがたい、かけがえのないところなのであります。
 志摩諸島のうちで、鳥羽市の離島に関連して、愛知県伊良湖岬と鳥羽市を結ぶ夢のかけ橋、伊勢湾口道路構想があります。この構想は、東京オリンピックの年、1964年の国連ワイズマン調査団の提唱によるものであり、県も調査費に巨額の15億円を投じています。
 しかしながら、昨年夏の国土形成計画(全国計画)では一般論として、湾口部、海峡部等を連絡するプロジェクトについては長期的視点から取り組むとされ、この夏の中部圏広域地方計画はさらにあいまいもことした表現で、その記述からは伊勢湾口道路を読み取ることは不可能な文章になっています。
 私は、伊勢湾口道路に異を唱えるつもりはありません。いつかその必要性について国民的合意がなされ、伊良湖から鳥羽へ橋がかかるときが来ることを願う1人であります。
 しかし、今、大いに議論になっております八ッ場ダムもそうでありますが、計画から実現まで、余りにも歳月がたち過ぎています。八ッ場ダムは57年、伊勢湾口道路は45年であります。志摩諸島の答志小学校や間崎小学校から日本の社会をのぞいてみれば、その変化は歴然としています。
 答志小学校は、50年前は全校児童が505人いましたが、今は120人になっています。間崎小学校は、全校で96人いた子どもたちが、今、たったの2人になって、学校は廃校に追い込まれています。
 巨大公共事業、巨大プロジェクトに翻弄されているうちに、地域は大きく変貌しております。
 私は、離島架橋は単なる地域課題ではなく、重要な県政課題であると確信をしております。全国的には、離島振興法の適用を受けた架橋は昭和40年代から始まり、今日まで全国で75本の橋がかけられています。最も多い県は長崎県で24本、2番目は広島県の16本であります。ほとんどが県道整備事業として完成をしております。
 離島架橋は、海上交通の船舶に頼らない24時間の陸上交通を確保することであります。架橋によって生活圏を広域化し、通勤、通学の範囲を拡大すること、漁業や観光業などの活性化を図ることはもちろんのこと、先ほど申し上げました命の格差をなくし、安心して暮らすことは、その重要性において、本土における国道や主要地方道とは比ぶべくもないのであります。
 特に志摩諸島最大の面積と人口を誇る答志島は、島民自らが答志島架橋の実現を目指して答志島架橋建設促進協議会を結成し、架橋を島おこしの有力な手段として、島を挙げて取り組んでいます。離島に住む人々もまた三重県民であります。その思いをどうか正面から受けとめていただき、本請願を採択いただきますよう切にお願いを申し上げまして賛成討論を終結します。
 よろしくお願いします。

(賛成多数で委員会の決定どおり採択決定)。
 

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答志島架橋建設促進協議会